2012年10月18日木曜日

ベルギー④

歴史編③


















1830年ネーデルラント国王で新教徒ヴィレム1世の支配に対して、独立革命を起こし、同年に独立を宣言する。1831年ドイツの連邦君主のザクセン=コーブルク=ゴータ家からレオポルドを初代国王として迎えた。
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1839年オランダはベルギーの独立を承認し、ベルギーが領有していたルクセンブルク大公国とリンブルフをオランダと分割した。そしてベルギーを永世中立国とした。
これは新教国オランダと旧教国ベルギーの同盟により軍事的脅威をなくすものであった。
また同年ベルギー憲法を制定しブルジョワジー男子により二院制国王の行政行為は首相の承認を要すると規定した。これは外からつれてくる新教徒の国王へ対抗するためのものであった。
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1885年第2代国王レオポルド2世が個人の所有地としてアフリカのコンゴ自由国を領有する。
  国と称しているが実質はザイール川流域の私有地である。その後コンゴ共和国→コン
 ゴ民主共和国となる。
同国ではレオポルド2世の残忍な統治で、人口は2500万人から1500万に激減したといわれている。やがて国際的な非難を呼び1908年にベルギーの国家的所有となる、ベルギー領コンゴとして1960年まで支配した。
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第一次世界大戦では1914年にドイツ帝国に中立を犯されベルギーは占領されるが、1919年のヴェルサイユ条約でドイツ帝国の植民地のルワンダとブルンジを獲得した。第2次世界大戦では1940年にナチス・ドイツに再び占領される。
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戦後は欧州経済共同体の創設に参加するなど中心的な役割を果たすが、1960年コンゴ民主共和国がベルギーから独立する際、ベルギーの対応の悪さからコンゴ動乱モブツ体制の確立など、コンゴの不安定化に寄与した。
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現在首都のブリュッセルはEU連合の主要な機関が置かれており、欧州連動の「首都」的な役割を帯びている。

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