2014年4月11日金曜日

ウガンダ⑧

都市編⑤

5.カンパラ

人口:142万人
ウガンダの首都で最大の都市。
標高1190mに位置する。

「カンパラ」の名前はルガンダ語の
Kosozi Kampala」=「Hill of 
Antelope由来する。

気温:赤道直下であるため夏は
      サバンナ気候
   1月と7月-乾季 
      気温は25~27℃
   3月~5月、11月-多雨とな
      る。 このため緑豊かな丘陵に沿っ
      て家屋が点在する都市となった。

歴史:
19世紀カンパラは象牙交易を進めるアラブ=スワヒリ商人の隊商ルートに
位置していた。
ローマと同じく最初この町は7つの丘のもとに建設された。
最初にこの町を建設したのはルガード植民
地行政官がカンパラヒルに1890年砦を設置したことに始まる。
その砦はケニアを活動の中心とした
帝国イギリス東アフリカ会社の権益を守るためのもであった。
     ↓
1896年にカンパラはイギリスの保護領とされたブガンダ王国の中央部に位置し、
首都であった。
 ★町を囲むカンパラヒルブガンダ王国の中心地
 ★北西2.5キロのカスビヒル(Kasubi Hill:1850年代の
  カバカ・スウナ2世(Kabaka Suuna)の中心地
  1882~1884年カバカ・ムテサ1世(Kabaka Mutesa Ⅰ)の宮殿
  あった。
 ★メンゴヒル(Mengo Hillムテサの後継者ムワンガ(Mwanga)の中心地
     ↓
独立(1962年)後エンテベからかわってウガンダの首都となる。
このとき大統領となったのがムテサ2世であった。
最初の10年カンパラは近代的な雰囲気に活気のある市場をもった緑豊かな町として
東アフリカ共同体の模範例とみなされた。また文化・教育の中心でもあり、
マケレレ大学は東アフリカの教育中心であった。
     ↓
しかしアミン支配下、アジア人は国外退去させられ、カンパラの地位は
落ちていきました。
     ↓
1986年、内戦終了。国内は無秩序であった。建物は骨組みがみえ、
壁には銃弾の跡だらけであった。そして戦火で荒れた地方からの移民があふれた。
     ↓
現在のカンパラ80年代の面影をまったく残していない。カンパラ通りには
ショッピングセンターやスーパーマーケットが立ち並ぶ。そしてカンパラ通りの北の
ほうには大使館やツーリストホテルが立ち並び、ナイロビやダルエルサラームにも
匹敵するほどである。町にはミニバスやタクシーが渋滞を作っている。
また多くのレストランやバーもあり、多くの観光客を魅了している。
     ↓
市内には東アフリカ開発銀行と総合大学のマケレレ大学がある。
 
 ※東アフリカ開発銀行は1967年にウガンダとケニア、タンザニアの3カ国が
  発足させた東アフリカ共同体(EAC)の下部組織である。
  →1967年に発足するが、1977年にケニアとタンザニアの主導権争いで
   事実上瓦解。その後、1978年ウガンダがタンザニアに侵攻し
   交戦状態となると完全消滅。
      ↓
   2001年、ケニア、タンザニア、ウガンダの3カ国により再結成。
   2005年には関税同盟が発足し、2007年にはルワンダ、ブルンジが
   参画計5カ国となる。

観光:
①オールドカンパラ

現在の町の中心から西のカンパラヒルに位置する。かつてルガーロ将軍が
1890年砦と町を建設した場所。いくつかのアジア風の植民地時代の建物がある。
オールドカンパラはイスラム共同体があり、新しく建てられたモスクなどがある。
このモスクの建設は70年代イディ・アミンの時代に始まり、アミン失脚後しばらく
頓挫していたが、リビアのカダフィ将軍の援助で完成した。
モスクの横にはカンパラで現存する最も古い建物の1つである博物館がある。
しかしイチジク科のしめころしの木が絡みついていて、徐々に破壊されていっている。


②ウガンダ国立博物館

東アフリカで最も古く、もっともすばらしい博物館である。
最初に民俗学的研究に基づく展示を行ったのは1905年で、カンパラヒルの
ルガーロの砦の近くのギリシャ神殿で始まった。
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正式には1908年に建設される。博物館は地元のガンダ人には
House of Fetishes」(呪術の館)と知られていて、展示品には超自然な力が
宿っていると信じられている。
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1954年、博物館は現在のキイラ通りに移転した。
植民地時代以前のアフリカの歴史とウガンダの歴史を知るには最高な場所。
またアフリカ大陸各地から集めた楽器、ウガンダの生活用品が展示されている。

③聖バリクデンベ市場

東アフリカ随一の露天市場で、市のある日には10万人以上の人出がある。

主な製造業は家具・機械部品。そして世界第9位の生産量を誇るコーヒー
その他綿、茶、砂糖を海外に輸出する拠点である。



2014年3月24日月曜日

ウガンダ⑦

都市編④

4.クイーンエリザベス国立公園


広さ:1986 km²
 (大阪府1896 km²より少し
  大きいくらい)

ウガンダ南西部のコンゴ民主共和国と
境にある。エドワード湖と
ョージ湖周辺が国立公園に指定
されていて、アカシアや
ユーフォルビア木々が
多いしげるエリアから湖沼、
サバンナ、林地帯と化に富む。

カジンガ水路の北ではサバンナの
野生動物を見ることができる。
コンゴ側はヴィルカン国立公園に
指定されている。

国立公園には...
 ・95頭の哺乳類(バッファロー、カバ、ウガンダコーブ等)
 ・10種類の霊長類(チンパンジーやサバンナモンキーやロエストモンキーなど)
 ・20種の捕食動物(ライオン、ヒョウ、ブチハイエナ、ヨコスジジャッカルなど)
612種の鳥類(ヒメヤマセミpied kingfisherや珍しいハシビロコウshoebillなど)
 ・イボイノシシやシママングースもたくさんいる。そしてモリイノシシを見るのにも
  ウガンダでもっとも適している。
 ・南のイシャシャには木登りライオンがいる。

歴史:
 1920年代後半からジョージ湖とエドワード湖周辺は保護区として守られてきた。
     ↓
 現在のクイーンエリザベス国立公園の形は1952年「カジンガ国立公園」
 として始まり、エドワード湖とルウェンゾリの間のリフトバレーの野生動物の
 保護を目的とした。
    ↓
1954年イギリス女王が訪れたことを記念して「クイーンエリザベス国立公園」
と改名した。
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アミンの時代に「ルウェンゾリ国立公園」と呼ばれる時期もあった。
 アミンのクーデターの後、政情不安の時期に多くの動物の数は減少した。
  象-4000頭から150頭(1980年)
  バッファロー-18000頭から8000頭

しかしここ10数年で状況はよくなってきている。象の数も2500頭くらいまで
増加た。

①カジンガ運河ボートクルーズ
  エドワード湖とジョージ湖を
  結んでい長さ32km
  広い水域。水路には多種多様な
  動物や鳥があつまる。
  カバやナイルワニの主な生息地の1つである。

 


運河で見ることができるのは....
  ・アフリカゾウバッファロー
   ウガンダコーブ:午後に現れる。
  ・カバ:常にいる。
  ・ナイルワニ
   運がよければ、午後運河沿いで餌を
   食べていたり、日向ぼっこしているの見ることができる。
   ワニがこの国立公園に住み始めたのは最近のことである。
  ・水鳥
・トキ、アフリカヘラサギ、コウノトリ
   
②サバンナ
 木登りライオン、デフォサウォーターバック、ブッシュバック、イボイノシシ、
 モリイノシシ、ウガンダコーブなどが生息している。イシャシャ川沿いには
 カバ、ワニがいて、川沿いの森林帯にはチンパンジーやクロシロコロブスが
 生息している。
 

5.カリンズ国立公園


(歴史)
1992年以来、チンパンジーなどの
霊長類を対象とした学術調査が
行われています。
森やチンパンジーの保護、村人の
営みの両立を目指すエコツーリズム
計画を推進している。

日本のNPO「カリンズ森林プロジェクトが」認可され、活動している。
森林について
  森林自体の広さ:137 km²(東京ドーム2930個分)
 クイーンエリザベス国立公園の一部を
 なすマラマガンボ森林と連続して、
 ウガンダで一番大きい森林ブロックを形成している。

  植生:落葉性のイチジク属など少数の落葉樹を含む中高度の
     常緑湿潤森林である。
     森林北西部にある製材所が1970年から主にパリナリを伐採している。
     西部には優占種は特になく樹高7~10mの木が混在する
     混合一次林である。
     中央部にはパリナリが優占種となっているパリナリ優占一次林が広がる。     
     東部には製材所を中心としたところにはムサンガが優占種となる
     ムサンガ優占二次林が広がっている。ムサンガは樹高25mでカリンズと
     ブウィンディによく見られる。

6種類の霊長類が生息:アカオザル、ブルーモンキー、ロエストモンキー、
            アヌビスヒヒ、クロシロコロブス、チンパンジー

①チンパンジー
「狩猟をしない」村人が伐採のために頻繁に森に出入りしていたので
チンパンジーはかなり人になれている。ムサンガ林を中心に活動しているグループを
Mグループと名付けNPOにより調査が行われている。
Mグループは大人のオス17頭メス7頭子供7頭にそれぞれ名前が
ついている。猛禽類のほかにチンパンジーがアカオザル、ブルーモンキーを捕食する。
そのためカリンズ森林ではアカオザルとブルーモンキー混群を形成している。
その他チンパンジーの食べ物はカリンズ森林ではムサンガの実イチジクの実
(10種類くらいある)です。これらの果実は一年中採食可能です。
  それ以外の果実の多くは雨季に果実期があり、混合林に多くなる。                                
      
森林の周辺
 カリンズ森林を一歩出ると周りにはバナナ畑が広がる村が続いている。
 ウガンダの人々の主食の代表的なものはこのプランテーション・バナナで調理して
 食べる。味はほんのり甘いサツマイモといった感じ。このあたりはウガンダでも
 バナナの一大産地である。

2014年2月25日火曜日

ウガンダ⑥

都市編③


















3.ブウィンディ原生国立公園(Bwindi Impenetrable National Park

アフリカで、最も生物学的に多様性をもった森のひとつである。

広さ:32092ha(320.92 km²/名古屋市326 km²とほぼ同じ)
    熱帯雨林、平地、高地の森林を含む。
海抜:1160~~2607m
  
伝説:             ↓
約1世紀前キソロから北上してきたある一家が通り抜けることができない沼地の南側に
きたときに、沼の精に身道案内をお願いしたところ、
もっとも美しい娘二ナムカリ(Nyinamukari)を犠牲に求めた。

2日間考えたすえ、家族は南にもどることはできないということから、
娘を犠牲にし沼を安全にわたった。この話が人々に広まった後、人々は現在国立公園内の
この沼をムブウィンディ・ヴァ・ニナムカリ(Mubwindi bwa Nyinamukari
Dark place of Nyinamukariと呼んだ。

そのMubwindiからbwindiと呼ばれるようになった。
Impenetrable(「通り抜けることのできない」という意味)はこの伝説からきている。
現在の国立公園名は1991年につけられた。

国立公園には....
世界のマウンテンゴリラの約半分-340頭
 ・90種類の哺乳類、うち11種は霊長類(チンパンジーやクロシロコロブス等)
 ・150~250頭のチンパンジー
 ・251種類のバタフライ(8種はこの地固有)
 ・360種類の鳥類(23種はアルバタイン・リフト・バレー固有)
  →アフリカヒロハシ(African green Broadbill
   オジロソライロヒタキ(White-tailed blue flycatcher
   インコ
   ヒタキ
   フレイザー ワシミミズク(Frazer’s eagle owl
   エボシドリ(Turaco)
     サイチョウ(Hornbillなど
 ・200種類の木
 ・105種類のシダ類
 ・80種類のラン




2014年2月10日月曜日

ウガンダ⑤

都市編②












ジンジャ

人口:106,000人

ジンジャ県
カンパラについで2番目に大きな商業都市。1907年に建設された。
カンパラから東に87キロ、ヴィクトリア湖岸、ナイルの源流近くに位置する。

歴史

かつては漁村で、長距離輸送ルートの途中に位置し、そのことから利益を得ていた。
町の名前の由来はこの地方、ナイル川の両岸に住んでいたガンダ族とソガ族の両方の
言葉で「岩」を意味する「エジンジャ」(ガンダ族)、「ディンダ」(ソガ族)から
1894年ウガンダを保護領としたイギリスが新たに建設する町に「ジンジャ」と
名付けた。

リポン滝を形成している大きな岩のため川はこの地で支流を生む。
そして川の両側には大きな平らの岩があり、小さなボートで川を渡ることができる。
またその岩はヴィクトリア湖から流れ出る水の量も自然に調整する役目も持っている。
地元民にとってこの場所は渡河ポイント、通商、移住、漁業の場所であった。
  ★1954年完成したオウェン滝ダム(近年ナルバーレ発電所と改名された)の
   建設のため、自然の岩の多くは爆破され、水底に沈められた。

1856年にジョン・ハニング・スピーク(イギリス人)が欧州人には
確認されていなかったナイル川の源流を発見するため探検した。
そして見つけた湖を女王にちなんでヴィクトリア湖となづけ、
ナイル川の源流であると提唱した。
     ↓
この地域は綿花、砂糖畑、鉄道の発達により、町は拡大した。
1907年イギリスにより道が整備され、町が建設された。
1910年にはゴア出身でカトリックのインド人商人がやってきた。
     ↓
1923年にはケニアのインド洋沿いの町モンバサからキスムを通ってジンジャまで
つながった鉄道がカンパラまで延伸された。
1928年にはブリティッシュ・アメリカン・タバコが進出し、
タバコ工場が建設された。
この頃ウガンダの貿易相手はインド、イギリス本国についで日本が大きく、紡績、
繊維業者がジンジャに進出していた。
     ↓
1972年、イディ・アミン政権時インド人および日本企業は追放され、
当時アミンに処刑され、ヴィクトリア湖に遺棄された死体がナルバーレダムに
流れ着いたといわれている。
インド人たちが追放され町の建物や工場はそのまま使われず廃墟とかした。
     ↓
2000年代、人口や都市に働きにくる人がふえる。しかしジンジャは多くの
「ワーキングプア」とみなされる多くの人々を抱えている。平均的な家庭の年収は
100ドル以下である。

経済

農業は肥沃な土地と豊富な水力のもと発展している。鉄の加工、皮や紙の加工、
砂糖、オーガニックフルーツやコーヒー、そしてビールが輸出品として生産されている。

ブリティッシュ・アメリカン・タバコは2005年に税金の高さのため閉鎖する。
現在もっとも多くの従業員をもつのはカキラ・シュガー・ワークス
Kakira Sugar Works。東アフリカでも最大の砂糖工場をもっている。
従業員数75000人。
工場では砂糖からの複製品のサトウキビなどを燃焼させ20MWもの電力を発電している、
それは主に工場内使用分だが、余分の電力は国の電力会社に売られている。

ナイルビールの工場はジンジャの郊外に1952年建設された。
1956年に初めてナイルビールのボトルが消費者のもとに届けられた。
2001年に「South African Breweries ltd」によってナイルビールは買収され、
2002年にはアメリカの「Miller Brewing Company」に買収され、
SABMiller Plc」となる。

観光

①ヴィクトリア湖

アフリカ最大で面積68,800 km²九州の2倍/琵琶湖は670 km²)
最大水深84m、平均水深40m。
スワヒリ語では「ヴィクトリア・ニャンザ」、タンザニアでは「ウケレウェ」、
ウガンダでは「ナルバーレ」として知られている。
湖のなかにはウガンダ領のセセ諸島をはじめ約3000の島々がある。

歴史

ヴィクトリア湖はグレート・リフト・バレーに囲まれていて、
約1000万~500万年前から地表が隆起し、湖は両側の隆起でその間が
陥没することでできたという説が有力である。
代表的な古代湖で、約100万年の歴史をもち、多くの固有種が進化して生息している。「ダーウィンの箱庭」としても有名。
     ↓
近年ナイルパーチというスズキ亜目アカメ科の食用の外来種が放流され湖の固有種が
激減している。

「ンゲゲ(ngege)」と呼ばれる固有種のティラピア(スズキ目)も絶滅した。
ただ食用のナイルパーチは欧州や日本へ輸出され、ヴィクトリア湖周辺の
地域にとっては重要な外貨獲得源である。