2013年10月30日水曜日

ウガンダ①

ウガンダ基本情報

黒はアフリカ人
黄色は夜明けの太陽
赤は人民の同胞愛

中央の鳥は「カンムリヅル」、
特定の部族や王のシンボルになったことがなり中立性を
表す。



独立:1962年10月9日
人口:3271万人
面積:24万 km²(世界37位)日本の本州と同じくらい。
共和制国家:現大統領ヨウェリ・カグタ・ムセヴェニ大統領
議会:一院制(271議席)

民族
国民の3分の2がバヌツー系の民族
その主力はカンパラを中心に住む農耕民族のガンダ族で人
口の10%。
残りをソガ族、トロ族、ニョロ族が占める。
残りの3分の1は警官や軍人に多いナイル系のアチョリ族、マサイ族に似た遊牧の
習慣を持つナイロハーマナイト系のカラモジョン族、テソ族、ルワンダから来たツチ族。
その他インドや欧州人の子孫。

宗教
カトリック60%、伝統宗教30%、イスラム教10%

主要産業:農業(コーヒー)、綿花、紅茶、砂糖、トウモロコシ、観光業
主要輸出物:コーヒー、魚、金、紅茶
主要輸出国:スペイン、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア
主要輸入物:自動車、機械部品、石油製品、石灰、セメント
主要輸入国:ケニア、イギリス、インド、日本、ドイツ

国名:ウガンダはブガンダ王国のスワヒリ語名称にちなむ。
 ★ブガンダ王国-ガンダ族の国を意味する。元はブニョロ=キタラ帝国の
  従属国の一つであったが19世紀末ごろムワンガ2世の時代にはイギリスの助けや
  セメイ・カクングルの活躍などにより、ブニョロに代わってウガンダのバントゥー系の
  宗主的立場となる。


2013年10月22日火曜日

ルクセンブルク⑧

モーゼルワイン編











モーゼル川について
 総延長544m
 フランス ヴォージュ山脈に水源を持ち、ナンシー、メッスなどを北へ流れる。
  ルクセンブルクで北東に転じ、ドイツ国境を流れたのち、最終的にはライン川に
合流する。

 (周辺産業
  フランス国内においては地下資源の豊富なロレーヌ地方を流れるため沿岸には
  工業地帯が発展する。ドイツ国内では欧州有数のワインの生産地としてしられる。

ドイツワインの特徴
ドイツのワインは圧倒的に白ワインが多い。
 ⇒それは厳しい気象条件のため、黒葡萄は十分に色がつかず
    数少ない赤ワインも色が薄い。
しかし緯度が高いため、
    夏期に日照時間を長く取ることによって凝縮性が高く、
独特な酸味
    果実性に富んだワインが造られる。
ドイツワインの酸味は長命性、
    殺菌性に貢献しているといわれ、
    
イツでは風邪の治療にワインを飲む人もいる。
    ブドウ畑は南向きの斜面に位置していることが多い。
     ⇒それは直射日光だけでなく川からの反射光も取り入れられる、
      また川から発生する霧で寒さ
から畑を守れるからである。

■モーゼルワイン
  モーゼル川沿岸やザール川の沿岸の地域が生産地。
  2007年までは「モーゼル=ザール=ルーヴァー」と呼ばれていた。
  リースリング主体のしっかりしたワイン。
   ※リースリング
    白ワイン用のぶどうの品種。ドイツでは1996年以降は
    この品種が栽培高1位。世界では5万ヘクタールの栽培面積を持つ。
    冷領地での栽培が望ましい。
 
 ★
ルクセンブルクにおけるモーゼルワイン
   ルクセンブルクのワインはフランスのアルザスワインとの共通点を
   よく指摘される。「アルザス
をさらに辛口にした」と形容される。
   モーゼル川の流域、南北約42キロにわたる地域、ぶどう畑は
   海抜150m~250mに位置し、幅300~400mの畑がつづく。
   地域的には南北2つに分けられる
    
   南部⇒量産地域、ゆるやかなスロープ、開けた土地。
      やわらかでバランスのいい、フルボディワインを生産。
   北部⇒石灰岩を多量に含む。河岸の侵食のため、ぶどう畑は幅の狭い急斜面に
位置する。優雅なワインを生産。
  ・年間生産量
    ⇒130,000~180,000ヘクトリットル
      ★1ヘクトリットル=100リットル
       内輸出50,000~90,000ヘクトリットル

  ・ルクセンブルクワインはすべて辛口
    ⇒平均残糖量8~10g/ℓ、ドイツワインは半甘口または甘口が多い。
   
  ・ルクセンブルクの葡萄の品種
    ⇒ブルゴーニュ産の品種であるオーセロワピノ・ブランピノ・グリ等が
     全体の3割。あとはリースリングピノ・ノワール
     ゲヴルツトラミネールリヴァネールエルブリングなどドイツでは
     こういった品種の栽培量はきわめて少ない。
 
  粘土質と白亜質を多く含むモーゼルの土壌が優雅さと繊細なバランスを生み出す。
  
  ・ワイン法
    ⇒1932年施行され品質保障され、ラベルに表記される。
   
    ※表記されるには
    ・政府の監督をうけること。
    ・ルクセンブルクモーゼル地域で生産されたワインであること。
    ・他国のワインとブレンドされてないこと。
    ・ルクセンブルクのワイン法ならび、EU規則の品質基準を
     すべて満たしていること。

  ・ワインの等級
       Marque National – Appellation Controlee
       Vin Classe
       Premier Cru
       Grand Premier Cru(グラン・プルミエ・クリュ)←1番良い。
   ★ワインセラーの1つWellensteinについて
    グレーヴェンマハ広域行政区に位置する。  
   ウェランステンは大手ワインセラー『Domaines de Vinsmosells社』
   ブドウ畑で、農業組合の形式をとり、合計で860ヘクタールのブドウ畑を
   もっています。

   ※860ha=8.6 km²。東京ドーム183個、甲子園球場223個
     
   国内の生産の3分の2Domaines de Vinsmosells
   モーゼル川から離れた丘陵地にあり、平坦な土地が多い。650軒の農家があり、
   1966年に設立した農業協同組合による経営で、
   ルクセンブルクワインの60%以上を生産している。

  ※その他ワインセラー
     Greiveldange(グリヴェルダンジュ)、Grevenmacher(グレーヴェンマハ)
     Remerschen(ルメーシン)、Stadbredimus(スタットブレディミュ)
   そしてスパークリングワインではWormeldange(ヴォルメルダンジュ)。

 ★生産されたワインは輸出国としてはベルギーが1番多く、その後ドイツ、
  フランス、オランダと続く。
※年間の消費量
    ⇒ワインの年間消費量1位はルクセンブル(55.8ℓ)
     2位フランス(55.4 ℓ)3位はイタリアで51.1ℓ。
     ルクセンブルクのワイン消費量は日本の27.9倍(日本は26位)

     ルクセンブルクの消費の多さは近隣の国とくらべて税率15%と低いため、
     周辺国からもワインを購入しに来る。そのため上記の数字には
     ルクセンブルク国民だけでなく、外国人も含まれている。


2013年10月16日水曜日

ルクセンブルク⑦

都市編④
















ヴィアンデン
人口-1500人
年間の観光は20万人観光客が訪れる。
町は1308年と早い段階に都市権を得ている。
ウール川沿いに開けた小さな町。
(見所)
マルクト広場
 広場には1469年に建てられた白い館、町役場がある。ルネサンス様式
 細い塔の窓にルクセンブルクの旗、大公の旗、ヴィアンデンの旗がひらめいている。
 そのほか広場にはヴィアンデンの女流芸術家が作った銅像がある。
 『ヴィアンデンの三人』というタ
イトルの銅像は塗装工、道化師、楽師
 あらわしている。
 
 少し上ると人形博物館があり、個人コレクションで2000体の人形と
 300の玩具が飾られて
いる。
 
ヴィアンデン城
中世の時代には24の見張り塔と5つの市門があった。原型をとどめていないが、
 登っていく途中に左右にある民家の背後に市壁の一部が残って
いる。
 ルクセンブルク随一の名城でどの方向からみても美しい城である。
 そしてルクセンブルク大公一家が外国からの賓客をもてなす際によく利用されている。
(お城の歴史)
 ローマ時代にすでにこの地に城が建てられていた。
     ↓
 10世紀にカロリング朝の地方伯が岩棚に楕円形の城を築いた。
     ↓
 1090年ヴェルトルフ・フォン・ヴィアンデン伯爵がこの城の所有者となった。
 以来ヴィアンデン家の城であった。
     ↓
 1417年ヴィアンデン伯爵家の最後のエリザベートが跡継ぎを残さずになくなった
 ため、財産は夫のエンゲルベルト・フォン・ナッサウのものとなる。
 以後城はルクセンブルク大公の祖ナッサウ家のものとなる。
     ↓
 17世紀ナッサウ家のフィリップが改装したルネサンス様式の城が今日見られる
 城の基となってい
る。18世紀の後半から城に住むものがいなくなり、荒廃していく。
    ↓
19世紀になってオランダ国王であり、ルクセンブルク大公ギョーム1世が城の
 補修工事を行った。
1891年アドルフ大公に譲渡された。以降ルクセンブルク家の城として使われ、
 1977年から
国の管理下におかれ、現在は博物館となっている。

(内部)
 西側の門をくぐると城を一周するつくりになっており、第二の門、第三の門がある。
 それを抜けると城の中庭にでる。城内に入るには第四番目の門をくぐる。
     ↓
 城内に入るとまず『武器の間』があり、ここには鎧兜など中世の武具がみられる。
     ↓
 その奥には城の修復の際に見つかった出土品が展示されている。ローマ時代に
 建てられた最初の城の
ものと思われる陶器の破片などもある。
    ↓
東端の珍しい十角形の塔は内部が礼拝堂で白壁と柱だけの質素な造りが美しい。
通常の礼拝のほかに出陣の前と無事に帰還できたときの感謝の祈りをささげていた。
    ↓
 北側のホールは『騎士の間』幅9.60m、長さ30.30mという
 大きな部屋で何の飾りものない大広間。戦が始まると周辺の城に住んでいた
 騎士たちが武装して『騎士の間』に集まってきたので、できるだけ多くの騎士が
 はいれるように無駄な調度品はおいていない。
    ↓
 その隣には台所、石のかまどがあり、煙を逃す大きな穴が煙突のように作られている。
 上階には近世のヴィアンデン城、『食事の間』『寝室』『バンケットルーム』
 『宴会の間』などがある。城の家系図を壁一面に描いた部屋もある。

ヴィクトル・ユーゴーとヴィアンデン
 
 川にかかるウール橋は18世紀前半木製の橋であった。その後石橋に変わった。
 袂にはユーゴーの胸像と反対側にユーゴーの家がある。
 ユーゴーはヴィアンデンを気に入って、初めて旅行者として1862年に訪れた。
 そして翌年から3
年続けて訪れている。1871年には夏の2ヶ月をヴィアンデンで
 すごしている。その時住んだ家がこの家である。ユーゴーは2階の
 2部屋を借りていた。今は全部が博物館となっていて、ユーゴーの書いた詩、
 スケッチ画、手紙や『レ・ミゼラブル』ポスターなどが展示されている。

 この家にいたとき、午前中は詩作にふけったり、手紙を書いたりして、午後は散歩に
 出ていた。ユーゴーはルクセンブルク中を旅し、旅先で詩を書書いたりした。
 その数詩50編、スケッチ画70作

ウール橋の像
ウール橋にあるユーゴーの胸像は実際のユーゴーの厳しい表情を表したダン
 作品のコピー(オリジナルはフランスにある。)
もう一つの石像はボヘミアの聖人ヨハネス・ネポムクである。
 チェコの聖 
人がここにある理由は
   →ルクセンブルク家出身のボヘミア王ヴァーツラフ4世にネポムクは
  使えてきた祭司であったから。ネポムクは王の命令に従わなかったから
  モルダウ川に投げ落とされる。死体が浮かび上がったときに川面に不思議な
  5つ星が光っていたといわれている。そのためチェコのネポムクの像には必ず
  5つの星があるが、ヴィアンデンの聖人には星はないが、この町の守護聖人である。










2013年10月8日火曜日

ルクセンブルク⑥

都市編③












エシュテルナッハ(Echternach
人口5200人
面積20.49 km²
ルクセンブルク最古の町『ルクセンブルクの小スイス』と呼ばれています。

歴史
アイルランド出身のベネディクト派修道士ウィリブロード698年トリアーに
滞在中、尼僧院の修道院長より、近くのエピテルナクス村の修道院と教会を与えられた。
ウィリボードはここにカトリック大教会(バジリカ)を建設し修道院を拡張した。
その周辺に定住して町は発展した。
     ↓
950年、アルデンヌ伯爵ジークフロイトがエシュテルナッハ修道院の権利代行者と
なり、963年にはトリアーの修道院からアルゼット川に囲まれた土地を譲り受け、
この地を拠点に後のルクセンブルク国を築き上げていった。
     ↓
現在のエシュテルナッハはルクセンブルク市で暮らす人々にとって人気のある保養地で、
ザウアー川のキャンプ地に滞在して、ハイキングや川遊びを楽しんでいる。
聖霊降臨祭(イースターの後の第七日曜日からはじまる)の火曜日の朝には
聖ウィリボードにちなむ「ダンシング・プロセッション(ダンス行進)」が行われる。
また5月と6月には国際音楽祭が開かれる。

見所
聖ウィリブロード大教会
 もともとは聖ウィリブロード706年に創建。しかし1017年には焼失し 
てしまう。その後11世紀に再建されたものがオリジナルとされる。
第二次世界大戦でドイツ軍に破壊されるが、今は修復され、11世紀の姿を
 見
ることができる。

 アーチ型の窓を2つ並べた四角い塔が2つありと、その上に乗ったピラミッド型の
 屋根をもつ典型的なロマネスク様式建築である。
 内部は両脇に廊下のある3層式会堂。ホールを支える四角い柱の間に円柱を
 配置した珍しい構造の支柱がある、このような柱を『エシュテルナッハ式』
 呼んでいる。
 祭壇の右脇に立つ石像は聖ウィリブロードである。

エシュテルナッハ修道院
 修道院は10~11世紀に最盛期を迎える。
 現在のってものは1737年に再建されたもので端正なバロック様式
 1797年修道士たちは追放され、修道院の有名な図書館とその所蔵物は競売に
 かけられた。
 図書館には聖ウィリブロードが手がけた装飾文字の写本が残されていた。
 現在オリジナルはパリの国立図書館などにある。
 現在修道院は博物館となっている。エシュテルナッハの歴史や修道院の宝物が
 展示されている。

 修道院の北側には付属の庭だったオランジェリーがある。
 中央には18世紀のロココ様式の館がたっています。