2012年12月30日日曜日

ボリビア⑨

ラパス①















面積:255km²
人口:約87万人
標高:3640(すり鉢状の町の為、この標高は中心がある一番底の標高)

ラパスとは英語で『Our Lady of Peace』(平和の女神)の意味。そしてラパスはボリビアの首都である。憲法上の首都は現在もスクレであるが、最高裁判所以外はすべてラパスにある。
人口においてはボリビア第2位。(一番はサンタクルスの160万人)
世界でもっとも高いところにある首都機能をもった都市
(最も高い首都はエクアドルのキト)

地理:アルティプラーノに位置し、町からは年中雪を頂いたイリマニ山(標高6438
   m)を見ることができる。

歴史:
最初に町が建設されたのは1548年10月20日、もともと先住民が暮らしていた
Laja)にスペイン人の征服者アロンゾ・デ・メンドーサによってペルーにおける戦
争の終結を記念して建設された。
最初の名前は『Nuestra Senora de La Paz(Our Lady of Peace)』。
その後、アイマラ人の鉱山労働者のコミュニティーであった現在の場所に町は移された。
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征服者たちは先住民に西欧の宗教や生活スタイルを押しつけた、征服者の多くは男性であ
ったため多くの混血(メスティーソ)も生まれた。
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ポトシで銀山が発見されてからは、アルティプラーノの厳しい気候にあるにも関わらず、
ラパスはポトシ~リマの交易路として栄える。その後ラパスを通る鉄道も建設される。
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その名『平和の女神』という町の名前にかかわらず、町は数々の暴力に見舞われる。スペ
イン人の支配に対して1781年トゥパック・カタリがリーダーのアイマラ人のグル
ープが町を6カ月間包囲し、彼らは教会や政府関連の建物を破壊した。そしてその30年
後先住民が2カ月間ラパスを包囲する。
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1809年、独立の気運が高まると王党派に対する反乱が各地で起きると、7月16日、
ペドロ・ドミンゴ・ムリーリョが反乱をおこす。ムリーリョは革命の父と呼ばれ、
彼の反乱は失敗に終わるが、この後消えることのないボリビアの独立の灯りをともしたと
言われている。ムリーリョはスペイン広場で絞首刑にされた。後に彼の名声をたたえ、
広場はムリーリョ広場と名付けられた。
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1825年アヤクチョの戦いで革命軍がスペイン軍に勝利し、ボリビアは独立する。
そして町の名前La Paz de Ayacucho(『アヤクチョの平和』)と改訂された。
1899年、連邦革命後、主な首都機能はラパスに移った。独立後ボリビアは180
人大統領が代わってと言われており、大統領になることは寿命を縮めることと言われるほ
どである。またPalacio QuemadoBurned Palace(燃やされた宮殿)と言われるくらい何度も放
火にあっている。また1946年には大統グアルベルト・ビジャロエルはムリーリョ広場で
首をつられた。

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