2013年7月18日木曜日

Guest House Plan (ゲストハウスプラン)

今回は初めて旅の情報以外のことを書きます。
私事ですが、日本の田舎にゲストハウスをオープンするため
情報を集めております。
もしお時間ございましたら、アンケートにご協力いただければと思います。
よろしくお願いいたします。

アンケートを行うにはここをクリック

This is my first time writing about something else but travel information.
I am planning to open guest house in the country side (Satoyama) in Japan.
I would like to know what you think.
so if you have time, please help me about the survey down below.
Thank you.

Please click here to start the survey

2013年7月17日水曜日

ベルギー⑪

ワロン⑦
8.セル(Celles)

『ワロンの美しい村22』のひとつ
。
村の歴史は古く、669年も聖アドランがここを訪れた時期にさかのぼる。
それぞれの家がヴァスクとよばれるフラワーポットに花を
うえているのがとてもきれい。

(見所)
・サン・アドラン教会(聖アドラン教会)
11世紀に建設されたロマネスク様式の教会。
内部にある聖職者席は13世紀のもの。
ベルギーでもっとも古いものの一つといわれている。
聖アドランは建設当時のこの地方の聖人である。

9.クリュペ(Crupet)

『ワロンの美しい村22』のひとつ。
先史時代以来の歴史を持ち、ボック川の支流のクリュペ川沿いの谷に
17世紀~19世紀に建てられた農家が点在する。
19世紀が村の最盛期。豊かな水を利用して産業復興を図った。
水車から得た動力は紙漉、製塩、搾油、鍛冶、ビール製造二利用された。

村の入り口にある『ル・ムーラン・デ・ラミエ』はワロンを代表する
レストランでベルギー国内のみならず、フランスやドイツからも食通が訪れる。

(見所)
・カロンドレ城
村の入り口から上流にある水城。12世紀に建設された。白い漆喰が塗られ、
急傾斜のスレート屋根が特徴。

・サン・マルタン教会とマッサビエル洞窟
教会の横には洞窟があり、聖アントワーヌに捧げられた洞窟。
洞窟は不気味な感じだが、近年一大聖地に祭り上げられ、参拝者が後を立たない。
そのため、教会の周辺にはホテルやレストランが多くある。








2013年7月4日木曜日

ベルギー⑩

ワロン⑥













7.アンヌヴォワ城(Le Chateau d’Annevoie)
庭園の美しさで知られるお城。別名「水の庭」をもつ城。
広さは12ヘクタール(36000坪 東京ドーム2.5倍)
18世紀に造られフランス様式、イタリア様式、イギリス様式の共存する、
そして自然の落差がもたらす流水だけを使う泉水庭園。

(噴水)
高く水を吹き上げるものから、孔雀が羽を大きく広げたものまであるが、
そのための動力は一切使っていない。高いところから低いところに流れるとか
行き場を失ったら出口を求めて吹き上げるとか水の性質を巧みに利用して造られている。
噴水以外にも『フランス滝』や『テーブル仕掛けの滝』など水の仕掛けがたくさんある。
ここで使われている水は200m~2500m離れた4つの泉からひかれている。
地下の配水管を通って流れてきた水は庭が作られてから200年以上流れ続けている。
水温も10~14度に保たれている。

(歴史)
1627年アロワ家がここに小さな館を建てた事に始まる。
     ↓
1675年アロワ家の令嬢マリーがジャン・ド・モンペリエと結婚したことにより、
アンヌヴォワ城はモンペリエ家の所有となる。
    ↓
現在の庭園を完成させたのはジャンの孫の
シャルル・アレクシ・ド・モンペリエである。
彼はフランスやイタリアをたびたび旅行し庭園の美しさに魅了されていた。
1758年ごろから城の増築と造園に乗り出した。彼と息子の
ニコラ・シャルルによってオリジナルを損なうことなく当時の姿が保存されている。
唯一の例外は1950年代の当主ピエール・ド・モンペリエが入り口近くに
下庭に新しい庭を造った。
シャルルが庭園をつくったころには庭を花で飾る好みはなかったが、
20世紀に庭園に花はつきものという風に人々の好みが変わってきた。
そこでピエールは庭の一角に花壇を造り、今では四季折々の美しい花が
さく唯一のゾーンとなった。
     ↓
モンペリエ家は2000年までお城を所有していたが今はある個人の所有となっている。

2013年6月13日木曜日

ベルギー⑨

ワロン⑤










5.ナミュール(Namur)

ナミュール州の州都で人口10万人。
姉妹都市-大垣市
『ムーズ川の真珠』と讃えられる美しい街並み。
ムーズ川とその支流サンブル川の合流点に町はあり、川にかかる橋も美観を
引き立てている。その中でもムーズ川にかかるジャンブ橋は3つのアーチを持ち、
その下を小型船がいきかい、シタデルの全貌がこの橋から望める。

(歴史)
古代ローマ人もカエサルが地元のアドゥアトゥキ族を打ち負かした後に定住した。
     ↓
10世紀メロヴィング朝の城が築かれてから有名となった。そして町単体として県と
なった。ナミュール伯がムーズ川北岸にのみ町を建て、南岸はリエージュ枢機卿の
所領であったため、町は不揃いに発展した。
     ↓
その後1262年ナミュールはフランドル伯の手に落ち、
1421年ブルゴーニュ公フィリップ3世に買い上げられた。1640年代には
スペイン領ネーデルラントの一部となり、城砦が強化された。1692年には
フランス王ルイ14世が町を攻略。彼の軍事技術者ヴォーバンが要塞を再建した。
     ↓
1695年大同盟戦争の最中オラニエ公ヴィレム(イングランド王ウィリアム3世)
によって奪われた。
1709年には要塞はオランダの支配下に、町はハプスブルク家のものとなった。
     ↓
フランス革命後の1794年にフランスが再度侵攻しナミュールはフランスに
再度併合される。
しかし1815年ナポレオンが敗退したのちウィーン会議でオランダの一部となる。
     ↓
1830年オランダから分離独立を求め、ベルギー独立革命がおきた。その後も
ナミュールは重要な要塞の町として新たな政権下におかれ、要塞は1887年に
再建された。
     ↓
第一次世界大戦中の1914年、フランスへ至るルートとしてのナミュールは
ベルギーへ侵攻したドイツ軍の標的となる。そして要塞は3日で陥落し、
町はドイツ軍に占領された。そして第2次世界大戦中、1940年、
アルデンヌの戦い、1944年のバルジの戦いでは前線地帯となり、
町はひどい被害を受けた。1977年までナミュールはベルギー軍落下傘部隊の
本拠地であった。

(産業)
ナミュールはワロン語圏の重要な商業産業の中心地である。機械生産、製革業、
製鉄や磁器生産がされている。

(見所)
・シタデル(城砦)
現在の城址は17世紀の建設とされる。この地を支配したすべての支配者の所有と
なった。ルイ14世、オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)など。
第2次大戦ではドイツ軍が間近まで迫ってきた。全体で8ヘクタールもある広大な
庭園、敷地内には森林博物館や野外劇場。城砦からの眺望はナミュールの町と
教会の尖塔や鐘楼と町の全望、そして遠くにアルデンヌの丘も見ることができる。
もともとは10世紀の古い城砦があったといわれている。

・鐘楼(Beffroi)
ロマネスク様式の鐘楼。46個の鐘が設置してある。大聖堂の前の建物は18世紀を
通じて大司教の宮殿である。フランス革命から現在までは州庁舎として使われている。
世界無形遺産に登録されたベルギーの鐘楼群のうちの一つ。聖ピエール教会の
鐘楼としてあったものが、1745年の教会の火災によってナミュールの町の城壁の
一部として1388年に建設された聖ジャック塔に移された。1746年から城壁の
開門、閉門の時を鐘が告げていた。高さが20mの聖ジャック塔は14世紀の
軍事的な建造物として重要な遺産である。

・聖ヨハネ教会
ナミュール最古の教会。13世紀に建てられ、1616年と1890年に改築された。
その2つの年号が壁に大きく書き込んである。

・聖ルー教会(イエズス教会)
17世紀に建築されたバロック様式の教会。正面入り口と2階の窓の両側にある
2本ずつの円柱と石の彫刻が重厚な印象を与える。

・聖オーバン大聖堂
18世紀中ごろのイタリア人建築家が建てたバロック様式の大聖堂。
もともと11世紀に建てられた大聖堂が洪水で破壊された。
この教会ナミュールで一番高い建築物。
歴史的建造物を保護する目的で大聖堂より高い建物は建ててはいけないことに
なっている。

・オワニー宝物館
13世紀の修道士で優れた銀職人であったユーゴー・ドワニーが作った金・銀細工の
作品が展示されている。ドワニーの作品は『ベルギーの7つの奇跡』の一つ。
聖バルテルミー教会(リエージュ)の洗礼盤やゲントにあるファン・アイクの
『神秘の子羊』などと並ぶ価値のある宗教芸術作品とされる。その美しさと
第2次世界大戦中ドイツ軍の空襲から免れたのも奇跡である。

2013年6月4日火曜日

ベルギー⑧

ワロン地方④










3.オルヴァル(Orval)
リュクサンブール州にある町。大修道院で有名。
オルヴァルというのは『金の谷』という意味である。その由来は。。。
 →1076年頃、この地の領主トスカーナ伯爵夫人マチルダは狩の途中で  
オルヴァルに立ち寄った。泉のほとりで休息していているとき、夫人は 
うっかり泉の中に指輪を落としてしまった。今は亡き夫ゴドフロワの
形見の指輪であった。必死の捜索するも見つからなかった。悲嘆にくれた夫人は
聖母マリアに一心に祈った。すると一匹のマスが口に指輪を加えて水面に
姿を現した。夫人は思わず「この金の谷に祝福あれ」と叫んだという。 
それ以降町のシンボルも指輪を加えたマスになった。
(見所)
・オルヴァル大修道院
最初の修道院は12~13世紀に建設されたがフランス革命時に破壊された。
今のその廃墟も残されている。再建が始まったのは1926年。1931年には
有名なトラピストビールの醸造所が作られた。これは修道院の再建資金を
得るために建てられた。
(見学)
まずは1518年のポーチをくぐると『施しの庭』にである。
ここは昔修道士たちが貧者に施しをしたことから、この名がついた。
そして庭を横に通って進むと、再建された新修道院とその前に広がる
『黙想者の庭』が一望できる場所にでる。
さらに進むとマチルダの泉にでる。その横がシトー会大修道院付属教会の廃墟。
  ★大修道院の最も有名な院長モンガイヤールや初代ルクセンブルク公
   ウェンサスラスなどの墓もあった。3つの窓と「死者の扉」をもつ
   バラ窓もきれいな形で残っている。

4.ディナン(DINANT)
ムーズ川の両岸に町並みが広がる。
町の東岸にシタデル、市庁舎やノートルダム参事会教会などがあり、
西岸には鉄道駅がある。11世紀初めに築かれた城砦の下にある町。
また楽器サックスが生まれた町としても有名。
ディナンはリエージュ司教国の管轄地であり、13~15世紀にかけて栄え、
そのころ真鍮や銅で手作りしたフライパンやお鍋、食器類や飾り皿などの
ディナンドリーができた。現在は町に2つの工房がある。
(見所)
・シタデル
1050年に崖の上に築かれた城。16世紀にリエージュ皇子司教が再建したが
18世紀フランスによって破壊され、現在の姿は19世紀以来のオランダ支配時代の
ものである。山の高さは100mあり、ロープウェイか16世紀に作られた
石段(408段)で登る。眺望は2キロ川下のクレヴクール城などが見渡せる。
・アドルフ・サックスの家
サクソホンの誕生地で、生家がある通りはアドルフ・サックス通りと
名付けられている。ディナンドリーを売るお店もこの通りにある。
真鍮でつくられたサックスも飾られている。4年に一度秋に、
国際サックス・コンクールが開かれる。

★町の名物
 ・クック・ド・ディナン
  蜂蜜と小麦粉だけでつくった堅焼きのクッキー。15世紀以来の歴史を持ち、
  100以上の型がある。

2013年5月17日金曜日

ベルギー⑦

ワロン地方③










2.トルニー
『ベルギー最南端の村』
人口-約220人
戸数-約50軒
村に入ると清水が湧き出る洗濯場がある。今は誰も洗濯に使用していないが、
呼び方も変わっていない
また洗濯場が三叉路の中心でもある。
坂の上の教会は花に囲まれていて、教会前は展望台になっている。
そこから眺めると丘がうねるように続いている。その丘はもうフランスである。
トルニー村の民家は赤い屋根瓦と薄黄色の石壁で作られている。
石はこの地方で産出する石灰岩である。はちみつ色の石灰岩は珍しい。
フランスのロレーヌ地方でも見かける瓦は「ローマ瓦」とよばれている。
またベルギー人はワインすきなのに、ほとんどワインは作られていないが、
トルニー村には小さいながらもブドウ畑が3箇所もある。年間5千本の白ワインを
作っている。教会の横にワインセラーがある。
森の向こうに川が流れていてそこが国境となっている。










2013年5月9日木曜日

ベルギー⑥

ワロン地方②










1.ブイヨン(Bouillon)
リュクサンブール州
スモワ川に面してというより囲まれて町が佇む。フランス橋とリエージュ橋が
両岸と結んでいる。
このあたりはフランス領やオランダ領となるほど波乱に満ちた歴史を持っている。
ブイヨンから近い村オービィ(Auby)には魔女伝説が残っています。

(見所)
・ブイヨン城
欧州で戦争が頻発していた中世に防衛のための城として建設。ベルギー最古の城と
いわれている。文献にはじめて現れるのは998年である。
町を見下ろすように建つこの城は1096年第1回十字軍の総大将
アルデンヌ公5代目ゴドフロワ・ド・ブイヨンの居城であった。
彼の死後この城とゴドフロワの領地は約6世紀リエージュ司教領となった。
その後はフランスとオランダが争奪する土地となった。
 ⇒この土地が交通の要所にあったため。
1830年ベルギー独立で、その争いに終止符が打たれた。
(要塞内)
幅40m、長さ340m。
火薬庫の厚い壁には春になると白い可憐な花、ウイエ・ド・ジェルザレム
(エルサレムなでしこ)が咲く。この花は遠征した兵士の服に付着してエルサレムから
運ばれたものでここにしかさかない。
お城は2つの要塞からなっていて、入り口から敵が入ってきたときには第一要塞の
跳ね橋をあげ、これが突破されたときは第二要塞の跳ね橋をあげた。さらに
突破されたときは鉄の戸が滑り落ちるよう装置があり、その先には第三の跳ね橋があり、
その先がお城の中心部である。そこにも銃眼や石おとしなどがある。そのほか武器の
貯蔵庫や300人の兵士に水を供給できる貯水池、独房、牢獄、地下牢、拷問部屋、
絞首台などがある。
ゴドフロワ・ド・ブイヨンの部屋には一族の像や岩を削って作られた椅子がある。
 →この椅子に座ると若い女性は年内に結婚できるといわれている。
★ゴドフロワ・ド・ブイヨン
第一次十字軍でエルサレムを異教徒から奪回してからエルサレム王を宣言されたが
固辞し、「聖墳墓守護者」の称号に甘んじ1100年にエルサレムで客死した。

鷹匠による鳥のショーを城塞の中でみることができます。