歴史:
16世紀、ブニョロ、ブガンダ、アンコーレ、ルワンダ、ブルンディなどの
大湖地方の諸王国が成立。
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17世紀中頃、ナルバーレ(ヴィクトリア湖)北西岸のブニョロ王国最盛期。
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19世紀中頃、ブガンダ王国がザンジバルとの交易で繁栄。その後カトリック、
プロテスタント、ムスリムの間で勢力競争がある。それはイギリスと
ドイツ、フランスの権益争いが背景にあった。
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1880年代から第一次大戦前の1912年までに欧州の帝国主義列強により、
アフリカ諸地域の支配権争奪が行われた。
その始まりは15世紀、ポルトガル、スペインの進出からはじまる。
当初欧州人がもとめたのは奴隷と若干の物品のみだったので沿岸部の支配のみで
あった。19世紀産業革命が進むと、奴隷貿易が禁止され、アフリカは
工業のための原料の供給地と、さらに工業製品の市場として囲い込み植民地と
する方が経済的に見合うと判断し、列強は前面的な植民地支配を目指していく。
その中でも1815年のウィーン議定書でアフリカ南端を手に入れ、
1875年エジプトをフランスから手に入れたイギリスの大陸縦断政策と
モロッコなどマグレブから東は紅海まで植民地の拡大を目指すフランスの
大陸横断政策は1898年、スーダンのファショダ事件のように度々ぶつかった。
イギリスはヘルゴランド=ザンジバル条約により、ドイツよりケニアとウガンダを
手に入れる。
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最終的には1912年イタリアがリビアを獲得したことで、エチオピアとリビエラを
除くアフリカ全土が欧州のわずか7カ国によって分割支配された。
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第2次大戦後、独立の気運が高まり1962年に英連邦王国の一員として独立し、
1963年に共和制へ移行。
★ウガンダは現在も共和制であるが、国内にはトロ王国、ブニョロ、ブガンダ、
ブソガの伝統的な地方王国が存在している。それらは1967年に
廃止されたが、1990年代に復活した。各王国の国王は「文化的指導者」と
位置づけられ、政治的な力は持たない。
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1966年首相のウガンダ人民会議のミルトン・オボテが大統領のムテサ2世を
排除して終身大統領に就任。社会主義路線を掲げる。
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1971年1月軍司令官イディ・アミンがクーデターで政権を掌握。
独裁政治を敷いた。
アミンの恐怖政治で30万人以上の国民が虐殺された。そして1978年に
タンザニアに侵攻するが、逆にタンザニア軍に首都のカンパラまで攻め込まれる。
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1979年反体制派のウガンダ民族解放戦線に攻撃されてアミンは失脚、
サウジアラビアに亡命。その後オボテが復帰するが、1985年、1986年と
クーデターが相次ぎムセベニが権力を獲得。ゲリラ闘争を行っていた国民抵抗軍が
正規軍となる。第7代大統領のムセベニは現在も大統領である。
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