4.独立後
終身大統領になったスクレも3年後に保守的なクリオーリョの反発を買い、国外に脱出することとなった。そして1829年、アルト・ペルー生まれのアンドレス・デ・サンタ・クルスが大統領に就任すると国土と経済の安定化を目指した。特に力を入れたのが国内の綿衣産業の育成である。そのため、外国からの綿製品輸入の一時停止、貿易港の制限、関税の値上げといった政策をとった。
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1835年、ペルーの親サンタ・クルス派を救済するという名目でペルーに介入し、1836年にペルー・ボリビア連合国を樹立した。
しかし軍事バランスが崩れるのを恐れたチリはアルゼンチンと共同して同年12月に連合に対して宣戦布告する。壊滅的な打撃をうけたサンタ・クルスは欧州に亡命し、連合は1839年に瓦解した。
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その後、ホセ・バリビアン将軍やホセ・ミゲル・デ・ベラスコ政権等国内安定に尽力したおかげで、経済も好転していく。しかしこの後、ボリビアは独立後170年で180人の大統領が就任することになる。
5.太平洋戦争
当時ボリビアの領土は太平洋まで達していた。チリとの国境は砂漠地帯で人が住んでおらず、国境も明確でなかった。そんな19世紀半ば、このリトラル県で銅、グアノ(海鳥の死骸や糞の体積で肥料となる)、硝石の鉱脈が発見される。チリはこの地をボリビア領と認めたものの開発は両国共同で行うことを主張。
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ボリビア領であるが、アントファガスタ市の人口は90%がチリ人であった。さらに1870年代に銀鉱も発見されると、ボリビア政府はこの地域の税率を引き上げた。これに反発したチリ人に本国も軍隊を派兵し、ここに太平洋戦争(war of Pacific 1879~1884年)が始まる。
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戦いはチリが圧倒的に優位のうちに終わり、1884年4月4日、バルパライソ条約が結ばれ、アタカマ地方は完全にチリに譲渡された。そしてボリビアは完全に内陸国となった。チリは代わりにチリはラパスから太平洋までの鉄道を建設した。内陸国のボリビアが3月23日を『海の日』に制定しているのは、ボリビア人が今でもこのときの戦争での領土の消失を恨んでいるからである。そして今でも取り戻そうと考えている。
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