6.政党政治の時代
太平洋戦争終了後、政治家たちは国家のあり方を考えるようになる。チリと停戦を求める保守党と戦争継続を求める自由党が誕生する。
はじめに主導権を握ったのは保守党で、就任したアルセ大統領は史上初太平洋岸のアウトファガスタ市から主要鉱山をつなぎラパスに至る横断鉄道建設に着手した。
しかし1870年以降米国とドイツが銀本位制を金本位制に切り替えるとボリビアはほかの有力輸出品を開発する必要が生じた。
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欧州での工業化の進展で、錫の需要が増加する。そして錫の輸出が急激に発展し、1913年には輸出の70%を占めるようになる。
(銀は1891年に60%を占めていたが、1913年には4%に落ち込んでいる。)
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保守党は錫鉱山の独占に失敗し、その隙に新興資本家が独占に成功する。その中でも有名な3財閥がパティーニョ、アラマヨ、ホッホチルドである。
新興の錫財閥は国家への影響力を強めるために自由党に歩み寄りラパスに拠点を置き、職能グループとも結束を固めた、ここに南部のスクレ、ポトシの銀鉱山部を拠点とする保守党と対峙する。
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1899年、錫財閥と結束した自由党は先住民と結束し、保守党政権の転覆を図った。この闘争は「連邦革命」と呼ばれる。
★先住民が自由党に協力しのは、保守党政権メルガレホ大統領時代、先住民の共有地の多くが接取され農地へと再編された。メルガレホ失脚後も1874年法が制定され、共有地の永大所有が禁止された。共有地返還を求める先住民で、ラパス県シカシカ地方のアイマラ人カシケ(共同体の指導者)ウィリュカは先住民の権利を回復することを条件に自由党に協力した。
先住民協力のもと保守党の駆逐することに成功した自由党は、今度は先住民の急進化を恐れ、協約を一方的に破棄し、弾圧を始める。こうして連邦革命は「白人」対「先住民」という形をとり終結した。
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政権を握った自由党はラパスに首都機能を移し自由貿易体制をとる。
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