2013年5月17日金曜日

ベルギー⑦

ワロン地方③










2.トルニー
『ベルギー最南端の村』
人口-約220人
戸数-約50軒
村に入ると清水が湧き出る洗濯場がある。今は誰も洗濯に使用していないが、
呼び方も変わっていない
また洗濯場が三叉路の中心でもある。
坂の上の教会は花に囲まれていて、教会前は展望台になっている。
そこから眺めると丘がうねるように続いている。その丘はもうフランスである。
トルニー村の民家は赤い屋根瓦と薄黄色の石壁で作られている。
石はこの地方で産出する石灰岩である。はちみつ色の石灰岩は珍しい。
フランスのロレーヌ地方でも見かける瓦は「ローマ瓦」とよばれている。
またベルギー人はワインすきなのに、ほとんどワインは作られていないが、
トルニー村には小さいながらもブドウ畑が3箇所もある。年間5千本の白ワインを
作っている。教会の横にワインセラーがある。
森の向こうに川が流れていてそこが国境となっている。










2013年5月9日木曜日

ベルギー⑥

ワロン地方②










1.ブイヨン(Bouillon)
リュクサンブール州
スモワ川に面してというより囲まれて町が佇む。フランス橋とリエージュ橋が
両岸と結んでいる。
このあたりはフランス領やオランダ領となるほど波乱に満ちた歴史を持っている。
ブイヨンから近い村オービィ(Auby)には魔女伝説が残っています。

(見所)
・ブイヨン城
欧州で戦争が頻発していた中世に防衛のための城として建設。ベルギー最古の城と
いわれている。文献にはじめて現れるのは998年である。
町を見下ろすように建つこの城は1096年第1回十字軍の総大将
アルデンヌ公5代目ゴドフロワ・ド・ブイヨンの居城であった。
彼の死後この城とゴドフロワの領地は約6世紀リエージュ司教領となった。
その後はフランスとオランダが争奪する土地となった。
 ⇒この土地が交通の要所にあったため。
1830年ベルギー独立で、その争いに終止符が打たれた。
(要塞内)
幅40m、長さ340m。
火薬庫の厚い壁には春になると白い可憐な花、ウイエ・ド・ジェルザレム
(エルサレムなでしこ)が咲く。この花は遠征した兵士の服に付着してエルサレムから
運ばれたものでここにしかさかない。
お城は2つの要塞からなっていて、入り口から敵が入ってきたときには第一要塞の
跳ね橋をあげ、これが突破されたときは第二要塞の跳ね橋をあげた。さらに
突破されたときは鉄の戸が滑り落ちるよう装置があり、その先には第三の跳ね橋があり、
その先がお城の中心部である。そこにも銃眼や石おとしなどがある。そのほか武器の
貯蔵庫や300人の兵士に水を供給できる貯水池、独房、牢獄、地下牢、拷問部屋、
絞首台などがある。
ゴドフロワ・ド・ブイヨンの部屋には一族の像や岩を削って作られた椅子がある。
 →この椅子に座ると若い女性は年内に結婚できるといわれている。
★ゴドフロワ・ド・ブイヨン
第一次十字軍でエルサレムを異教徒から奪回してからエルサレム王を宣言されたが
固辞し、「聖墳墓守護者」の称号に甘んじ1100年にエルサレムで客死した。

鷹匠による鳥のショーを城塞の中でみることができます。

2013年4月20日土曜日

ベルギー⑤

ワロン地方①


ベルギーの連邦構成主体、3つの地域のうち、国土の南半分を占める地域。
ワロンという地域名の語源は諸説あるが、
ガリア語のvellaunos(勇敢な)という語に由来するという説が有力。
首府-ナシュール
面積-16,844 km²
人口-335万人

州
・     エノー州
・     ナミュール州
・     ブラバン・ワロン州
・     リエージュ州
・     リュクサンブール州

言葉
ワロン語・ピカルディ語
⇒フランス語の方言とみなされ、使用頻度も減少していったが現在ではワロン語の授業が
 行われていたり、ラジオ番組が制作されたりしている。
 シャンパーニュ語、ロレーヌ語

経済
19世紀初頭にリエージュやシャルルロワをはじめとした地域で石炭や鉄鉱石と
いった資源を用いた工業を背景として急速に発達した。それにより、ベルギーは欧州で
最初に産業革命を成し遂げた国となった。しかし20世紀前半工業は北部に移行し、
ワロン地域での重工業は次第に衰退していった。
ムーズ川の南のアルデンヌ地方には多くの観光資源や温泉が存在し観光産業が
比較的良好な経済状態を維持している。

政治
1993年から連邦制に移行したことにより、ワロンは独自の政府と議会を有するようになった。議会の定数は75人で5年ごとに改選が行われる。

2013年4月14日日曜日

ボリビア⑲

チチカカ湖










面積:8562km²(琵琶湖の約12倍)
水深:107m(最大285m)
標高:3812m
湖面の60%がペルー、40%がボリビア領。
「航行可能な湖として世界最高所」にある。また数少ない古代湖。
41の島がある。27の川が流れ込むが、流れ出るの川は1つのみ。
流れ出る川はデサグワデーロ川(Rio Desaguadero)で、小さい湖ウィニャイマルカ湖
(Lago Hunaymarca 別名Lago Pequeno)へ流れ、アルティプラーノ南部のポーポ湖へ
と連なっている。支流への水の消失率は5%のみ、また強い風と太陽光のため、
蒸発が激しく、それがこの地域の気温を温暖に保っている。湖水の蒸発が激しいため、
水中の塩分の量も多く、1リットルあたり1グラムほどである。

1985~86年におきた洪水では道や船付き場などが水中に沈んだ。
そして多くの家が泥をかぶり、約20万人が避難しなければならなかった。
湖から唯一流れ出る川はデサグワデーロ川のみなので、水が引くまでに数年がかかった。
1998年8月にボリビア側の800km²がラムサール条約登録地となった。
またこの湖は海を持たない内陸国のボリビアの海軍基地がある。
     ↓
2000年以降チチカカ湖の水位が下がってきており、2009年の4~11月
だけで、水位が81cm下がり、これは1949年以降最も低い記録である。
またウル族と呼ばれる人々は450年前に陸地を離れて、湖上に住み着いた。
現在でもトトラと呼ばれる葦を3mの厚さに束ねたもので浮島を作り700人ほどが
ウロス島に定住している。

(名前の由来と伝説)
正式な名前の由来はわかっていないが、伝説では『ピューマの岩』と訳される。
それは湖の形がピューマがうさぎを狩る姿をしていることからそういわれる。
またアイマラとケチュアの言葉を合わした名前だとも言われている。

見所:
①太陽の島(Isla de Sol)
伝説では、太陽そのものまた最高神ウィラコチャが生まれた場所だといわれている。
またインカの祖先の一人マンコ・カパックとその妻ママ・オクリョ(Mama Ocllo)が
生まれた場所とも言われている。

チチカカ湖で最も大きい島のひとつ。約21km²。
歴史:
はじめに人が住み始めたのはBC2000年頃とされている。そしていくつかの遺跡も
作られた。そしてティワナク文化の時代がおわり、インカの時代(15世紀~16世紀)
には島の遺跡は聖域として利用された。島にはインカの時代の遺跡が約180はある。
     ↓
植民地時代には島は北部がチャリャ(Calla)、南部がユマーニ(Yumani)という
2つのアシエンダ(大農園)にわかられていた。
     ↓
現在でも島には約2500人の人が暮らし、車はなく、舗装された道もない。
人々はおもに農業、漁業、そして観光業で生計を立てている。農業は段々畑の
テラスで、ジャガイモ、キヌア、とうもろこしをつくっている。とうもろこしの
栽培は他のアルティプラーノでは寒さのため不可能であるが、湖内部のこの島では
昼間に熱を吸収した湖水が、夜間は暖かい蒸気となって島を覆うため温暖なため
農業に適していて、とうもろこしの栽培も可能である。

2013年4月8日月曜日

ボリビア⑱

ティワナク遺跡①










ティワナクについてはまだ研究が進められている段階で、詳しくはわかっていない。
それはティワナクの人々は文字を持っていなかったためである。
2000年に世界遺産に登録。
最盛期には2.6km²の土地に2万人が暮らしていたといわれている。

歴史:
ティワナク文化はBC500~1200年の間で5期分けられる。
第1期
 BC500年中ごろ、ティワナクに人々が到来し始める。
第2期
 壺などの陶器(水平な持ち手のついた壺)や人や動物の彫像などが作られ始める。
第3期(BC300~500年)
 幾何学模様の3色の陶器が作られる。
第4期
300~700年、巨大な祭祀建造物が建設されるようになり、多くの巡礼者
が訪れる場所となる。青銅と金が使用されるようになり、この時期の陶器は擬   
 人化されたものが作られた。 
第5期
 最盛期を過ぎ、1200年ごろティワナクの人々は忽然姿を消した。

見所:
ティワナクの遺跡に使用されている石は1つ25トンもする玄武岩や砂岩の塊である。
玄武岩は40km離れたコパカバーナの半島の砕石場から持ってこられた。
砂岩ですら5km離れたところから持ってこられている。この地を征服した
スペイン人はアイマラ人にどのように遺跡を建設したのか尋ねると誰もが
『ヴィラコチャの助けを受けて』と答えたという。

・アカパナ ピラミッド(Akapana pyramid)
高さ16m、7段の階段状の基壇で、大きさは200㎡。
頂上部分には半地下式広場が設けられている。周囲には方型の部屋が配置されている。
そこからは銀、銅製品が出土している。当初楕円形のピラミッドの四隅に石の排水溝が
あるため、貯水槽として利用されたと考えられていたが、最近の調査で、
トロフィーのようなものが発見され、ピラミッドは戦勝記念の神殿として利用
されていたのではないかと現在は考えられている。

・カラササヤ(Kalasasaya)
ピラミッドの北に位置する。巨大な壁に囲まれた130×120mの広場。
赤い砂岩と安山岩の巨大な石をしっかり組み合わせた壁(切石積み)で
支えられた基壇で、基壇上には石像(ポンセの石像)や太陽の門がある。
しかし修復はかなり間違えて行われたようで、太陽の門も現在の位置ではなく、
元の位置は不明である。











太陽の門(Puerta del Sol)
 安山岩の一枚岩を組み合わせており、その表面には彫刻が施されている。
まぐさ部分の中央に彫られた両手に笏を握る『杖の神』の像、アイマラ語で
トゥヌパと呼ばれる雷神・天空神を表したと考えられる。
また太陽神ヴィラコチャとも言われている。
そしてその脇には48人の光芒を発し、手には笏を握り、
背中に羽をはやして走る鳥人が描かれています。
門にあるくぼみは太陽神へのお供え用に利用されたといわれている。
また門全体がある種のカレンダーとして利用されたとも考えられている。
この門の重さは少なくとも44トンはあるといわれている。         
ポンセの石像
代表的な一枚岩(monoliths モノリート)の石像

・半地下式神殿(Templete Semisubterraneo)
赤い砂岩でできた26m×28mの神殿。その真ん中には半地下の長方形の広場が
あり、壁には175個の石の顔がある。
1960年代考古学者たちが神殿を再建するために石と石の間をセメントで固めたため、
今みるような形になっている。

2013年3月20日水曜日

ボリビア⑰

ウユニ①










面積:約12000km²
標高:3653m

世界最大の塩原。現在塩の採掘量は年間2万トンといわれており、
そのうち18000トンは人間によって消費され、残りは家畜用である。
また世界の50~70%のリチウムが埋蔵されており、現在各国の協力のもと採掘が
進められている。
塩原は驚くほど平ら(塩原全体で1mくらしか標高差がない)で、少し水が張れば
鏡のように空を映し出す。
また平らさから衛星の高度を計測するに最も適した場所である。
 ピンクフラミンゴの主要な生息地でもある。

形成:
海の底だったアンデス山脈が海面から隆起したときにできたのがアルティプラーノ高原。
そのアルティプラーノにはいくつかの真水の湖と塩水の湖を含んでいた。
共に山に囲まれており、外に流れ出る川がなかった。
3~4万年前この地域は巨大な古代湖ミンチン湖(Lake Minchin)であった。
ミンチン湖が蒸発したあと約14000年、この地方は干上がっていた。
     ↓
そしてそこに現れたのがタウカ湖(Lago Tauca)だが、
この湖は約1000年ほどで干上がってしまった。
この湖が残したのがポーポ湖とウルウル湖、そして2つの塩原-ウユニ塩原と
コイパサ塩原である。アルティプラーノのこの地方の湖は流れ出る川をもっていない。
塩原の塩は山から雨季に流されてきて形成される。

見所:
①魚島(Isla del Pescado)
魚の形をしているとこの塩原の中にある島。
丘にのぼるとトリコケレウス属のサボテンと六角形の塩のタイルが一面に見渡せる。
  
②ナグナ・コロラド(Laguna Colorada)
面積:60km²
標高:4278m
水深:80cm

ミネラル分を含む水には海草(algae)とプランクトンが豊富な赤色の湖。
湖岸はナトリウム、マグネシウム、ホウ砂、石膏などが豊富である。
そして土砂にはケイ藻植物が豊富で、これらは肥料、絵の具、歯磨き粉、
プラスティック、飛行機の燃料、ビールやワインの生産に利用される。
また南アメリカに生息するすべての種類のフラミンゴが子育てにここを訪れる。
 

2013年3月7日木曜日

ボリビア⑯

ポトシ②










見所:
①ポトシの造幣局(Casa de la Moneda)
南アメリカでもっとすばらしい博物館。
最初の造幣局は現在の裁判所の場所に1572年に建設された。
そして副王トレドの時代に現在の1ブロックすべて使った造幣局が
1773年に完成する。そして植民地でのコインの鋳造を行った。
伝説ではスペイン王はこの法案を見たときに、『その建物は銀で作られるべきだ』と
いったといわれている。この造幣局でできたコインには『P』の文字が彫られており、
ポトシスとして知られた。

また造幣局の壁は1mの厚さがある。造幣局は牢獄や要塞としても
利用されたからである。またチャコ戦争の際にはボリビア軍の本部が置かれた。
中庭に入るとバッカスの仮面がかかった中庭が迎えてくれる。この仮面は1865年に
フランス人のユーゲニオ・マルティン・ムーロンがかけたものであるが、
なぜバッカスかは本人しかわかっていない。
  
内部は当時の鋳造用の道具(ラバに引かせた歯車で銀をたたいてコイン用に伸ばす道具、
19世以降は蒸気を利用した機械)や祭壇などが展示されている。

展示物の中でも貴重なものは18世紀、ポトシ派の画家によって描かれた
『セロ・リコの聖母マリア(La Virgen del Cerro)』である。
セロ・リコに差し込まれたマリアの戴冠を表している。上部左は聖職者の身なりをした
子なるキリスト、右は雨合羽を着用した父なる神、そして鳥によって擬人化された
精霊の三位一体の聖母戴冠。
またキリストと神のそれぞれ後ろには心臓をもつ大天使ガブリエルと十字架と剣を
もつ大天使ミカエルが描かれ、現世を切り離された別世界を現している。
中断にはインカの神々インティ(太陽)とキーリャ(月)も戴冠に参加。
下段現世のさまざまな寓話が描かれ、山が生み出す富に感謝する宗教上の権力者が
描かれている。
左には法皇、枢機卿、司教。右にはスペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝
カール5世)と12使途の一人サンティアゴと富の提供者。