ティワナク遺跡①
ティワナクについてはまだ研究が進められている段階で、詳しくはわかっていない。
それはティワナクの人々は文字を持っていなかったためである。
2000年に世界遺産に登録。
最盛期には2.6km²の土地に2万人が暮らしていたといわれている。
歴史:
ティワナク文化はBC500~1200年の間で5期分けられる。
第1期
BC500年中ごろ、ティワナクに人々が到来し始める。
第2期
壺などの陶器(水平な持ち手のついた壺)や人や動物の彫像などが作られ始める。
第3期(BC300~500年)
幾何学模様の3色の陶器が作られる。
第4期
300~700年、巨大な祭祀建造物が建設されるようになり、多くの巡礼者
が訪れる場所となる。青銅と金が使用されるようになり、この時期の陶器は擬
人化されたものが作られた。
第5期
最盛期を過ぎ、1200年ごろティワナクの人々は忽然姿を消した。
見所:
ティワナクの遺跡に使用されている石は1つ25トンもする玄武岩や砂岩の塊である。
玄武岩は40km離れたコパカバーナの半島の砕石場から持ってこられた。
砂岩ですら5km離れたところから持ってこられている。この地を征服した
スペイン人はアイマラ人にどのように遺跡を建設したのか尋ねると誰もが
『ヴィラコチャの助けを受けて』と答えたという。
・アカパナ ピラミッド(Akapana pyramid)
高さ16m、7段の階段状の基壇で、大きさは200㎡。
頂上部分には半地下式広場が設けられている。周囲には方型の部屋が配置されている。
そこからは銀、銅製品が出土している。当初楕円形のピラミッドの四隅に石の排水溝が
あるため、貯水槽として利用されたと考えられていたが、最近の調査で、
トロフィーのようなものが発見され、ピラミッドは戦勝記念の神殿として利用
されていたのではないかと現在は考えられている。
・カラササヤ(Kalasasaya)
ピラミッドの北に位置する。巨大な壁に囲まれた130×120mの広場。
赤い砂岩と安山岩の巨大な石をしっかり組み合わせた壁(切石積み)で
支えられた基壇で、基壇上には石像(ポンセの石像)や太陽の門がある。
しかし修復はかなり間違えて行われたようで、太陽の門も現在の位置ではなく、
元の位置は不明である。
太陽の門(Puerta del Sol)
安山岩の一枚岩を組み合わせており、その表面には彫刻が施されている。
まぐさ部分の中央に彫られた両手に笏を握る『杖の神』の像、アイマラ語で
トゥヌパと呼ばれる雷神・天空神を表したと考えられる。
また太陽神ヴィラコチャとも言われている。
そしてその脇には48人の光芒を発し、手には笏を握り、
背中に羽をはやして走る鳥人が描かれています。
門にあるくぼみは太陽神へのお供え用に利用されたといわれている。
また門全体がある種のカレンダーとして利用されたとも考えられている。
この門の重さは少なくとも44トンはあるといわれている。
ポンセの石像
代表的な一枚岩(monoliths モノリート)の石像
・半地下式神殿(Templete Semisubterraneo)
赤い砂岩でできた26m×28mの神殿。その真ん中には半地下の長方形の広場が
あり、壁には175個の石の顔がある。
1960年代考古学者たちが神殿を再建するために石と石の間をセメントで固めたため、
今みるような形になっている。