南仏①
コートダジュールは日本語では『紺碧海岸』、英語では『フレンチリヴィエラ』と
呼ばれています。
行政的にはヴァール県、アルプ=マリティーム県、モナコ領にあたります。
海岸線は560マイル(約900キロ)ある。
←(コートダジュールの紋章)
そして最初の近代的なリゾート地の一つで、その歴史は18世紀にイギリスの上流階級の冬季リゾートとして始まった。18世紀の半ばに鉄道網が発達すると、イギリス人、ロシア人等の保養地となった。その頃訪れた人には、ヴィクトリア女王、皇太子時代のエドワ
ード7世等がいます。
20世紀に半ばには芸術家たちが頻繁に訪れるようになり、その中にはピカソ、マティス、サマセット・モーム等がいる。他には裕福なアメリカ人やヨーロッパの人たちが訪れた。
第2次大戦後、多くの著名人たちの観光地や会議や各種イベントが開かれる場所となり、エルトン・ジョンやブリジット・バルドー達が別荘を持つようになった。
公式にコートダジュールには163カ国の国籍をもつ人々が住み、その数は83,962人といわれていますが、実際はその数字をはるかに上回る。
コートダジュールの最大の町はニースで人口は347,060人。
またコートダジュールはヨットとクルーズの中心地でもあり、毎年世界の50%の大型ヨットを迎え入れている。そして90%の大型ヨットが人生のうち一度はこの地域の海岸線を訪れていると言われている。年間300日が晴れていて、18のゴルフコース、14のスキーリゾートがあり、3000のレストランがあります。
(名前の由来)
コートダジュールの名前は1887年12月に発行された本『コートダジュール』で作家のステファン・リエジャールが名付けたと言われている。
リエジャールはコートドール(Cote-d’Or)のディジョン出身で、金の(Or)の代わりに地中海の青(Azur)をつけて作ったと言われている
英語のフレンチリヴィエラの方はイタリアの国境から始まるイタリアンリヴィエラからとった名前と言われています。19世紀初めにイギリス人はフレンチリヴィエラと呼んだのが始まりです。もともとはモナコとイタリアの国境をさしていた。
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