5.ナミュール(Namur)
姉妹都市-大垣市
『ムーズ川の真珠』と讃えられる美しい街並み。
ムーズ川とその支流サンブル川の合流点に町はあり、川にかかる橋も美観を
引き立てている。その中でもムーズ川にかかるジャンブ橋は3つのアーチを持ち、
その下を小型船がいきかい、シタデルの全貌がこの橋から望める。
(歴史)
古代ローマ人もカエサルが地元のアドゥアトゥキ族を打ち負かした後に定住した。
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10世紀メロヴィング朝の城が築かれてから有名となった。そして町単体として県と
なった。ナミュール伯がムーズ川北岸にのみ町を建て、南岸はリエージュ枢機卿の
所領であったため、町は不揃いに発展した。
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その後1262年ナミュールはフランドル伯の手に落ち、
1421年ブルゴーニュ公フィリップ3世に買い上げられた。1640年代には
スペイン領ネーデルラントの一部となり、城砦が強化された。1692年には
フランス王ルイ14世が町を攻略。彼の軍事技術者ヴォーバンが要塞を再建した。
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1695年大同盟戦争の最中オラニエ公ヴィレム(イングランド王ウィリアム3世)
によって奪われた。
1709年には要塞はオランダの支配下に、町はハプスブルク家のものとなった。
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フランス革命後の1794年にフランスが再度侵攻しナミュールはフランスに
再度併合される。
しかし1815年ナポレオンが敗退したのちウィーン会議でオランダの一部となる。
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1830年オランダから分離独立を求め、ベルギー独立革命がおきた。その後も
ナミュールは重要な要塞の町として新たな政権下におかれ、要塞は1887年に
再建された。
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第一次世界大戦中の1914年、フランスへ至るルートとしてのナミュールは
ベルギーへ侵攻したドイツ軍の標的となる。そして要塞は3日で陥落し、
町はドイツ軍に占領された。そして第2次世界大戦中、1940年、
アルデンヌの戦い、1944年のバルジの戦いでは前線地帯となり、
町はひどい被害を受けた。1977年までナミュールはベルギー軍落下傘部隊の
本拠地であった。
(産業)
ナミュールはワロン語圏の重要な商業産業の中心地である。機械生産、製革業、
製鉄や磁器生産がされている。
・シタデル(城砦)
現在の城址は17世紀の建設とされる。この地を支配したすべての支配者の所有と
なった。ルイ14世、オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)など。
第2次大戦ではドイツ軍が間近まで迫ってきた。全体で8ヘクタールもある広大な
庭園、敷地内には森林博物館や野外劇場。城砦からの眺望はナミュールの町と
教会の尖塔や鐘楼と町の全望、そして遠くにアルデンヌの丘も見ることができる。
もともとは10世紀の古い城砦があったといわれている。
・鐘楼(Beffroi)
ロマネスク様式の鐘楼。46個の鐘が設置してある。大聖堂の前の建物は18世紀を
通じて大司教の宮殿である。フランス革命から現在までは州庁舎として使われている。
世界無形遺産に登録されたベルギーの鐘楼群のうちの一つ。聖ピエール教会の
鐘楼としてあったものが、1745年の教会の火災によってナミュールの町の城壁の
一部として1388年に建設された聖ジャック塔に移された。1746年から城壁の
開門、閉門の時を鐘が告げていた。高さが20mの聖ジャック塔は14世紀の
軍事的な建造物として重要な遺産である。
・聖ヨハネ教会
ナミュール最古の教会。13世紀に建てられ、1616年と1890年に改築された。
その2つの年号が壁に大きく書き込んである。
・聖ルー教会(イエズス教会)
17世紀に建築されたバロック様式の教会。正面入り口と2階の窓の両側にある
2本ずつの円柱と石の彫刻が重厚な印象を与える。
・聖オーバン大聖堂
18世紀中ごろのイタリア人建築家が建てたバロック様式の大聖堂。
もともと11世紀に建てられた大聖堂が洪水で破壊された。
この教会ナミュールで一番高い建築物。
歴史的建造物を保護する目的で大聖堂より高い建物は建ててはいけないことに
なっている。
・オワニー宝物館
13世紀の修道士で優れた銀職人であったユーゴー・ドワニーが作った金・銀細工の
作品が展示されている。ドワニーの作品は『ベルギーの7つの奇跡』の一つ。
『神秘の子羊』などと並ぶ価値のある宗教芸術作品とされる。その美しさと
第2次世界大戦中ドイツ軍の空襲から免れたのも奇跡である。